--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2011
07.31

ありがとう、シェア

三日前の7/28日未明、愛犬シェアが天に旅立ちました。僕が36歳のとき、会社にひょっこりやってきた野良状態の彼女を引き取って以来、17年の長い付き合いでした。

彼女とともにさまざまな出会いや別れ、喜び悲しみ、学びを体験してきました。

最後の半年間は、視覚、聴覚、脚力が失われる中、散歩も満足にできず、彼女にとって辛い日々が続いたと思います。日々、物質としての肉体のどこかが壊れていく。それが死を迎えるということです。一月くらい前から後ろ足が完全に麻痺し、動くことも横になることもできず、食事、水飲み、下の世話が必要な状態でした。死の数日前から、床ずれして破れた皮膚からハエに卵を産み付けられ、あっという間にウジが発生してしまいました。粘着力のある小さな卵は、体毛の間に産み付けられいくら取り除いても残ってしまいます。内蔵機能も壊れていたはずです。しばらく前から時折尿道から膿が出ていました。ほとんど鳴くこともなくなっていたシェアが、苦しそうに呻くようになりました。これ以上食べ物を与えることは、苦しみを長引かせるだけに過ぎないと判断し、最後の二日前に餌を与えるのをやめました。

当日は仕事を休み、昼ごろ、庭の片隅に、二つのクリスタルとともに葬りました。

昨年12月の父の死以来、1月の英語の生徒さんの死、叔母と室内犬パピとの別れ、この家に7ヶ月滞在した友との別れなど、離れていく、取り去られていく、削られていくという動きをずっと体験する中で、今回の別れによって、一つの学びが完成した感じがします。

自分の中で「死」に対する備えというものが意識され、さまざまな書物やエックハルト、ガンガジ、ラマナさんらの教えに答えを求めてきた結果、自分なりに得心ができたたためか、予期したほど涙することはありませんでした。早く苦しみから解放させてあげたいという気持ちのほうが強くなっていたことも、その理由の一つです。

あるいは、これから時折泣くことになるのかもしれません。本当のペットロスというものを、体験するのはこれからかもしれません。今は、理性が落ち込むことを警戒しているのかもしれません。それはそれでいいでしょう。


いま、シェアは自由なスピリットとなり、開放されて屈託がないはずです。僕のことも心配していません。僕が彼女を思って落ち込んでいないことを知っていますから…。そして、変わらずに愛していることを知っていますから。

死は、別れではなく、永遠においての、すべてとの融合なのですね。
恐れるものではありません。


夕べは、大好きだった真あじの開きを、水とともに遺影の前に備え食べてもらいました。

CA240561.jpg


CA240562.jpg


CA240573.jpg




精神世界ランキング ランキングアップにご協力ください


スポンサーサイト

トラックバックURL
http://salasvaty.blog94.fc2.com/tb.php/50-2503e70e
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。