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2011
07.17

ラマナ ~ 神

ラマナ・マハルシ「あるがままに」から、神についての彼の言葉をシェアします。





宇宙の至高の創造者であるイーシュワラ、人格神は本当に存在している。だがこれは、まだ真理を実現せず、個我の実在を信じている人々の相対的な見地から見たときに限った真実である。賢者の絶対的な見地からすれば、無形の一者である、個我を超えた真我以外には、他のどんな存在もありえない。

イーシュワラの存在は、我々がもつイーシュワラの概念の結果である。まず、イーシュワラが誰の概念なのかを知ろうではないか。概念はそれを考えた人によって生じる。あなたが誰なのかを見いだしなさい。そうすれば、他の問題はひとりでに解決するだろう。
  
イーシュワラ、神、創造者、人格神は消え去るべき最後の非実在の姿である。唯一、絶対的存在のみが実在である。それゆえ、世界だけではなく、自我だけではなく、人格神もまた非実在なのである。

もし人が真実ありのままの神を知ったなら、神が何も知らないことを悟るだろう。なぜなら、彼の本性は永遠なる実在の全体であり、そのほかに知られるべきものは何一つ存在しないからである。

「わたしは在る」(I AM)が神の名前である。神を定義した言葉の中で、旧約聖書の出エジプト記3章14節にある「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)ほど、ふさわしい言葉はない。絶対的存在とは、ただ在るものである。それが真我である。それが神である。真我を知れば神を知る。実際、神は真我以外の何ものでもない。





真我は、ラマナ~わたし~これを読むあなたの中を貫く実在。わたしがこれを書いているようで、ラマナがこれを語ったようで、あなたがこれを読んだようで、実際は全部真我のなせる業、始まりも終わりも真我がやっていることなのですね。

自分がやっているという感覚、行為者という感覚があるうちは、個人という非実在(エゴ)の中から見ているのだとラマナは説いています。そのとおりだと思います。

立ち位置としては、「自分がやっている」のではなく、「いま、こうなっている。やらせていただいている」という感覚でいたいと思います。




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