2011
07.17

放射線被爆について

Category: 時事
3月11日の原発事故から、4ヶ月が過ぎた今、放射線汚染に対する接し方が大分変わりました。

水は、ペットボトルを買うのを止め、水道水を「ありがとう」や「愛してる」と書いたペットボトルに入れ、キリスト意識で有害物質を中和、無害化したものを使っています。一回の買い物で、一家族一本だけという制限が出てから、経済的にも実質的にもこだわれなくなり、買わなくなりました。

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野菜は、群馬産のレタスと地元栃木産やそのときスーパーにあるにんじん、きゅうり、とまとを食べています。最初の2ヶ月は、野菜を食べるのを控えていましたが、今は食べています。スーパーで売られている地元産の元気な野菜たちを見ていると、食べられずに廃棄されるのは気の毒に思えるのです。生産者の心も伝わってくるのです。放射線の毒は、キリスト意識で浄化して食べようと思います。ガイガーカウンターがあれば、浄化前と後を計れるのですが。


マスクは、もう暑くてしてられません。大気との一体化も断たれるのが嫌です。花や植物の微妙なエネルギーも感じられなくなり、自分の吐いた二酸化炭素を再び吸うのでどうしても取り込むエネルギーが低下するようです。コミュニケーションが取りにくくなるのも嫌なのです。

クーラーは職場で利かせているので家では使わず、窓を開け放っています。寝るときも開けています。

雨は、濡れないように気をつけていますが、動けない犬の世話をしていると、突然の雨にはどうしてもある程度は濡れてしまいます。拭き取っても残るだろうし、その度にシャワーを浴びるわけにもいきません。



このように、水道水を浄化する以外は、かなり無防備になってきました。事故当初考えていた、被爆防御のための工夫は、実際にはやり通せないことでした。低レベルの放射線汚染が続く環境の中、被爆しないという生き方はできないということが、実感としてわかってきました。

チェルノブイリ周辺でもそうだったようですが、放射線の、見えない、無味無臭の性質に対し、警戒心を持ち続けることは難しいようですね。遠くの食材も売っていないとなれば、自宅栽培のものを食べたり、地産地消となるのも自然だと思います。



秋以降から、ほとんどの食材のストックが、3月11日以降のものへと入れ替わり、どの食材が放射線フリーなのかわからなくなります。加工食品でも同じですね。放射線検査などというものは、放出されたすべての核種について行われることは、決してなく、せいぜいセシウム数種とヨウ素だけでしょう。プルトニウムや他の数十種類は無視されると読んでいます。


放射線による被曝に対しては、自分で浄化したり、被爆しても大丈夫な肉体を作ることが、今後の目指すべき道なのかもしれません。それでも残ってしまうものは、その結果を受け止めるしかないでしょう。




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