--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2014
10.16

語録74、75、76

Category: トマス福音書
(9月予約投稿)

74
彼が言った、
「主よ、泉の周りには多くの人がおりますが、泉の中には誰もおりません」

75
イエスが言った、
「多くの人々が戸口に立っている。しかし、花嫁の部屋に入るであろう者は、単独者だけである」

76
イエスが言った、
「父の国は、荷物を持っていて、一つの真珠を見出した商人のようなものである。この商人は賢い。彼は荷物を売り払い、自分のために唯一つの真珠を買った。あなたがたもまた、蛾が近寄って食わず、虫が食い尽くさぬところに、朽ちず尽きることのない宝を求めなさい」
泉、花嫁の部屋は、単独者=本来的自己のあるところです。単独者つまり、ワン、1、ONE、ひとつしかないもの、純粋な意識です。シングルとかダブルとか、形の上、二元性における数の多寡ではありません。「一つの真珠」も同様に、本来的自己、絶対的自己を表すアグラファ(イエスの用いた未知なる表現)です。

本来的自己を求める人の、何と少ないことか、とイエスは実感していたのでしょう。それは、いまの時代にも同様に言えるでしょう。たくさんの小魚、99の羊たちのことで、頭が一杯であり、それらが揃えば幸せになれると誤解しているのです。富める者となればなるほど、99の羊は、999,9999、と増え続けます。それらの維持管理でなおさらマインドは忙しくなります。金持ちが天国に入るのは、らくだが針の穴を通るよりも難しい、というイエスの言葉は、実に現実を射抜いた表現ではないでしょうか。
泉のそばに来ただけで、もう満足してしまう多くの人たち。心は、そこで多くの小魚のところに戻っていくのです。
トマス先生は、そうであってはいけない、と、イエスの語録を編纂されたのでしょう。その言葉を多くの人が守り、1945年、日本が敗戦した年に、エジプトの土の中から大きな坪に入って見つけ出されたのです。


参照元:The Heart of Awareness:a translation of The Ashtavakra Gita



人気ブログランキングへ

スポンサーサイト
トラックバックURL
http://salasvaty.blog94.fc2.com/tb.php/365-e9f81e08
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。