2014
07.26

真理は有料なのか?

目覚めを、悟りを、真理を、自から個人の生活の実益、手段に結び付けるのは、やはり、『違う』と感じます。

毎日、どんなに悟ったようなことを書いていても、語っていても、その人が、真理を有料で切り売りするような活動に従事しているなら、あるいはプランを抱いているなら、その人が達したという悟りには、わたし的には???が点灯します。

真理は切り売りできません。
分割できません。
悟りは伝授できません。
それは、自然に起きるものといいます。

悟れば、悟りなどなかったということになるようです。
まったく普通のことだったと知るかららしいです。
悟りを得た人は、まったく普通の状態に戻るから、外から見たのでは、まったく普通の人と見分けがつかないといいます。彼は、自分から悟っているなどとは決して言いません。むしろその反対を装うようです。外見には、子供のようだといいます。内面は真理の知恵が満ちています。

労働に対して、正当な報酬を受け取ることは、悪いことでもなんでもありません。ごく自然なことです。
精神的、スピリチュアルなカウンセリングやヒーリングを有償ですることも、他のサービス行為と同様のものとみなすことができます。
しかし、こと悟り、目覚めに関しては、話はまったく異なります。
これを有料化してカウンセリングしたり、講演したり、伝授したり、サポートするというのには、どうしても違和感を感じ、不自然さを感じます。
真理や覚醒を有料化することは、不可能です。それで料金をいただこうという思考自体、真理に反していると言えないでしょうか?
そのような行為は、ひいては自らを悟りから切り離しつつ依然その中にいると信じ込ませる、もっとも狡猾なエゴのトリックを肯定したことにならないでしょうか?

人それぞれ、悟りや目覚めに関する伝え方、考え方があると思います。人生観があると思います。そして、カルマから来る生き方が、それぞれに与えられているでしょう。
結局、どれも、そのような多様な生き方の中の一つに過ぎないなのですが、やはり気になることなので、書いてみました。

マスターでも、グルでもない、深い悟りを得たわけでもないわたしには、このように思えるのです。



精神世界ランキング 参加しています




人気ブログランキングへ
スポンサーサイト
トラックバックURL
http://salasvaty.blog94.fc2.com/tb.php/336-78592c92
トラックバック
コメント
こんにちは。
私も同じように悟りを通じて他者から金銭を頂く、という行為にはかなり違和感を感じます。
悟ったと自称されるたくさんの方々がブログを通して素晴らしい表現をされ、体験をシェアして下さっていますが結局のところ、それらを通じて他者との金銭の関わり合いをしている、とわかると(いくらボランティア的料金でも)もう、その方々達のブログを訪れる気が全く起こりません。「ああ。。この方もか。。」とみてしまいます。
そのような方々を観ていると 全く罪悪感はなく意思を超えた、流れの中での行為をされているつもりの様です。
アドヴァイタ的概念 *起こるべきことは起こる* *流れにまかせる* *全てを受け入れる*を肯定的(正当化、というといい方がきついのでやめておきます)に意識的、或いは無意識に使用されていらっしゃいます。
スカイプなどを使用した、1体1の対面伝授(気づきを促進させるという。。結構需要があるようです)などまるでアイコンタクトを通しての洗脳のようで違和感MAXです。。。しかもものすごく高い。。
昨年は突然アセンションした、という女性の方のブログを興味本位で時々読ませて頂いていたのですがこの方自体はとても思いやり深く素晴らしい方なのに今ではすっかりカウンセリングみたいなことで金銭にかかわってらっしゃいます。
しかもその女性の悟りの示唆にあたってらっしゃった方がババジの直弟子で其のババジから真我実現を認められたという外国の女性の方なのですが。。。(東京に住んでいらっしゃいます)
その方から「あなたはもう悟ったのでこれからは多くの方の助けとなりなさい。」と言われ 今や金銭もある程度絡む、気づきに至るまでのカウンセリング業(ややヒーリング的)をされているようです。
このような方々としては決して儲けようとかたくさん顧客がきたらいいな、とか利己主義的な想いは一切なく純粋に苦しんでいる方を助けたい、その想いだけだと思います。
ただ もう1歩 踏み込んで 熟考したら。。。流れに酔わず、悟りで得るお金とはなんぞや 人助けとはなんぞや と考える余裕か思考回路があれば どんなに尊敬する方から勧められた道であってもまた違う選択ができたのでは、と思ってしまいます。
いえ、でも、自らがお金を出してサットサンとか講演会・瞑想会などに通って気づきを得ていたらその流れを受け継ぐのが普通なのでしょうね。

すでにそういう道を歩まれているかたが ここに書かれているような文章を読んでも 涼しげにスルーできると思います。
*うん うん そういう考えもあるわね。世の中には間違いも正解もないわ。起こるべきことだけが起こるのよ。私は私 あなたはあなたで自由なの、尊重しあいましょう。。お互いにGOOD LUCK!*みたいな感じ。。。?

エックハルトトールさんはどうなんでしょう。
makaさんが翻訳して下さったエックさんのYOUTUBUでの講演、たくさん削除されてしまいましたが。。。エックさんはたぶんそんなことおつきのもの達がされているなんて知らないと思います。
エックさんは*流れに抵抗しない*を100%されている感じを受けるので外部の動きをもし知ってもなにも意見しないのかな。。と思ってしまいます。

そう思うとラマナマハルシさんは徹底していたなーと思い浮かびます。確かラマナさんが使用していた洞窟の入場料金を第3者のものが掲げだしたら、ラマナさんはすっかり洞窟の外側に出てしまったという。。(行為で意思表明)

悟りを得たという方に理想の人格・イメージを勝手にあてはめているつもりはないのですが本当にわたしもmakaさんと同じくこういうケースに出会うと違和感を感じています。

せめて場所代を気づきや悟りを求める皆様とシェアするとか。。それくらいまでがまだギリギリ全うかな、という気もします。。運営費も完全シェア(講演する本人も払う前提で)
とにかく商売になるのが邪道のような。たとえ善意100%でも。。。
発信したいことがあればブログか本か無料動画で。
そんないさぎよい気づきの風が 金銭と絡んでしまっている、悟り推進されている善意溢れる方々に吹けばよいですね。

今一度 吹いておきます!フゥ~~!

長文 失礼致しました。




ルイボスdot 2014.08.07 15:06 | 編集
ルイボスさん、

いろんな角度からの考察とご意見、とても参考になりました。同じように感じる方がいることが分かり、少しホッとしました。
大変デリケートで精妙微妙なトピックなので、取り扱うのが難しい領域かもしれませんね。

ちなみに、パパジは、サットサンに課金することは、腐敗の始まりとして禁じていたようですね。依頼によってサットサンに出かけるときは、聴講料はもうけさせず、交通費、宿泊、食費などを全額開催側に負担させることが条件だったようです。デービッド・ゴッドマンがYoutubeで語ってました。
自分に会いたい人、話を聞きに来る人との間に、どんなに低い垣根も作りたくはない。これが、ラマナの系譜ですね。一つの、参考になる話でした。

イエスが、彼の話を聞きに集ってきた衆人から聴聞料をとったという話は、聞いたことがありません。
ブッダが、有料で瞑想伝授をしたという話は、聞いたことがありません。
もしそうしていたなら、わたしたちは、彼らの存在を知らなかったでしょう。

昨今は、果実(内実を証する行為)ではなく、花(言葉、著名さ、人気)で判断する傾向があるようですね。そこに集っているのは、やはり花を観ている人たちではないでしょうか。それも一つのプロセスとしては,OKなのですが、早く気付くほうがいいなと。
最近は、そんな風に思っています。



b-svahadot 2014.08.09 10:31 | 編集
>真理は切り売りできません。
 分割できません。
 悟りは伝授できません。
 それは、自然に起きるものといいます。

>マスターでも、グルでもない、深い悟りを得たわけでもないわたしには、このように思えるのです。

覚醒してから、悟りを開いてから語られたらどうですか?
真理、覚醒、悟り、お金に対して、見解が偏っていませんか?
いろいろな知識や情報から推測しているだけで口頭禅だと思いますよ。
そうかなdot 2014.09.15 00:00 | 編集
こんな場末の日記を読んでいただき(笑)、コメントまで書いていただいたこと、感謝いたします。

悟ってもいないものに、何がわかるか?と言われてしまえば、それまでです。それでもあえてこれを書いたのはなぜかと自問すると、波紋を起こしたかったのだと思います。

「これって、本当に、OKなの?大丈夫なの?」
という小石です。

自分が感じているだけなのかもしれないが、聴いてみないとわからない。自分の中だけでは、なんだかはっきりしない...。ただ、深い部分はNGといっている感じがする。

そんな思いから、書いてみた日記でした。
なので、私自身、もう少しこの問いについて、見つめていきたいというところです。答えは、それぞれの中に生まれるでしょう。読者が「自分の思いが、本当に混じりけのないゴールドなのかどうか」を見つめ直すきっかけになれば、日記を書いた目的の達成です。

実際、この日記をアップした時点から、確実に小さな波紋が立ったことが、リアクションとしてわかりました。わたしに相互リンクを求め、交流はなくもずっとその状態だった、有償の目覚めのカウンセリングをしている方が、記事を読んで即、リンクを解除されました。
アップして二ヶ月が過ぎても、このようにコメントもいただいています。


また、文面から、
条件次第では、


真理は切り売りでき、
分割でき、
悟りは伝授できる、


とのご意見なのかと思います。

できれば、そうかなさんの具体的なご意見も伺いたいところですが...


ありがとうございます。v-350
makadot 2014.09.15 09:10 | 編集
makaさん

はじめに謝りたいことがあります。わたしは悟っても、覚醒してもいません。真理が何かすら気づいていません。
それなのに、雑で上から目線のようなコメントをしてしまったことをお詫びします。


>それも一つのプロセスとしては,OKなのですが

b-svahaさんのこの「部分」のコメントと、わたしは同じ意見です。

わたしは有償でも無料でもどちらでも良いと思っています。
もし気に入らなければ放っておけけばよいと思うからです。
有償のものに参加しても何か気づくことがあると思います。
ずっと信じ続けていて、いつか裏切られたと思う出来事が起こるかもしれませんが、その結果見分ける力を養うことができるかもしれません。
そして、自ら話すときには無償ですることになるかもしれません。
有償でも真理に気づくことも出来るかもしれません。
無償でもその価値に気づくことができないかもしれません。
無償でも真理とは程遠いものもあるかもしれません。
それは誰にも分からないと思います。

有償で行うことが流れに反してるのであれば、おそらくmakaさんやルイボスさんのように問いかける方もより増えて、やがてはそちらの方へともっと傾いてゆくと思います。
でも現状はそうでないところが多いと思うので、これもまた何かに気づく良い機会だったり、反動が大きくなって一気に傾くかもしれない、ともとれると思います。

makaさんのコメントに反応してしまったわたしが言うのも恐縮ですが、意見を言う自由、経験する自由は、みなさんあると思います。
ただ、その責任というか、結果は自身で受け取らざるを得ないとも思います。


>真理は切り売りでき、
 分割でき、
 悟りは伝授できる

実はこれについてではありません。

>それは、自然に起きるもの「といいます」。

こちらの部分についてでした。
そうかなdot 2014.09.15 11:16 | 編集
そうかなさん、

さらなるコメントを頂き、そうかなさんのご意見がわかりました。

人にはさまざまな立ち位置があり、それが、意見として反映されるものですね。

わたしは、人として、どの立ち位置を選ぶかというのは、あらかじめカルマの中で決められているのだと思います。

その立ち居地にしたがって、それぞれの意見が主張されるわけですね。

自分がどの立ち位置を選んでいるかをよく知っておくこと、これが大切なのではないかと思います。


ありがとうございますv-350
makadot 2014.09.19 10:41 | 編集
通りすがりですよ。

なんでもよくなるよ。

観念も相手もなくなっちゃうからね。
語るべき○○なんていうのもね。
まず『こうであるべき』や『〜でなければならない』が消えちゃうからね。

でも、体験していないなら、あらゆる自らの体験、瞬間瞬間を楽しめばいいんだよ〜
中今dot 2014.10.18 02:00 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top