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2014
07.07

「わたし」は、行為者ではない、ということ

悟りを得た人の話や聖典類には、「わたしは行為者ではない」ということが、よく言われています。
頭での理解や、直感的感覚によっても、多分そうなのだろうとは思われますが...。


いま、四年ぶりに物語を書いています。
平日は、体力的に余裕がないため、時間の取れる週末に、まとめて連載分の一回を書いています。
この、物語を書くという行為は、「わたしは行為者ではない」ということを、体験的に教えてくれる作業です。
以前から、そう感じていましたが、今回、改めて実感しています。

何を書くか、まったく決めていなくても、十分な体力と時間をもって、パソコンに向かうと、ストーリーが、勝手に展開し始めます。

あらかじめ、粗筋が浮かんでいて、それをもとに書くときもあれば、書こうと考えていたこととは全く違うことや、違う流れを書くこともあります。

そんなときは、実際に書いた展開の方が、書かれるべき内容であることも、疑いなく感じます。

登場人物のネーミングや、どの物質がどの星と縁があるかなどを決めるときは、誰かに訊ね、教えてもらう感覚です。
チャネリングと言うこともできるかもしれません。

いずれにしても、ストーリーを綴るのは、1パーソンとしてのわたし個人でないことは明らかです。「わたし」は、これから何を書くのか、どんな展開になるのか、知らない場合がほとんどなのですから。出来上がってから、「あぁ、こういう展開だったのね!」と、自分でも驚くことしばしばです。
なので、決して、「わたし」が、書いたのです、とは、厳密な意味では言えないことを、「わたし」自身が知っています。

では、書いているのは、誰なのでしょうね?

一体、行為者とは、だれなのでしょう?

そんな人、この世に一人でも、いるのでしょうか?

バガヴァッドギーターや賢人たちの答えは、NO ですね。

ちなみに、この連載が、いつ書き終わるのか、私自身にもわかりません。こうした終わり方をしたい、という大まかな願望はありますが、その通りに進むかどうかも、ましてや、そこに進むプロセスについては、予測すらできません。さらに言えば、書き終えることができるのか、わかりません。もしかしたら、未完で終わることになっているかもしれません。勝手に書いてくれる力が止まった時は、書けなくなるでしょう。そのときには、
「何だ。偉そうに、ストーリーがポンポン飛び出して簡単に書ける」などと傲慢なことをブログに書いていたけれど、未完で終わったじゃないか!」
などと、揶揄されるのかもしれません。その時は、甘んじてそれを受け入れればよいのでしょう。

わたしにとって、物語を書くという行為は、実際、そういうことです。

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