2011
06.18

ラマナ~自由意志

映画「シティ・オブ・エンジェルズ」の中で、天使の一人が人間界に堕ちることを決めた理由のひとつに、「自由意志」を挙げていました。自由意志、意志の自由、これにはすばらしい響きがありますね。僕にとっても、ずっと憧れを抱いてきた言葉でした。

以下、ラマナの「あるがままに」から、自由意志についての箇所をシェアします。それは、僕がそれまでに抱いていた自由意志の概念とは、まったく別の意味合いを含んでいました。



質問者:自由意志というものは存在するのでしょうか?

マハルシ:誰の意志だろうか?行為者であるという感覚がある限り、それを楽しむ感覚と自由意志の感覚は存在するだろう。だが、もしこの感覚がヴィチャーラ(真我の探求)の修練によって失われたなら、聖なる神の意志が働いて、出来事の流れを導いてくれるだろう。ジニャーナ(真我の知識)によって運命は克服される。真我の知識は自由意志も運命も越えているからである。


質問者:人の人生において、彼の国、国民、家族、仕事、職業、結婚、死などにおける顕著な出来事が、彼のカルマによってすべて宿命付けられていることは理解できますが、しかし彼の人生の詳細すべてにいたるまで、取るに足らないことまで、すでに決定されているのでしょうか?例えば、いま私は手の中の扇を床の上に置きました。それはこの日、この時間に、私がこのように扇を動かし、このようにここに置くという事まで、すでに決定されているということなのでしょうか?

マハルシ:もちろんだ。何であれこの身体がすること、そして何であれそれが通り抜ける体験は、その身体が存在を現したときにすでに決定されているのである。


質問者:それでは、人の自由や彼の行為に対する責任はどうなるのでしょう?

マハルシ:人が手にできる唯一の自由とは、努力をしてジニャーナを得ることである。それが彼と身体との同一化を断ち切る。身体はプラーラブダ(前世から持ち越した清算されるべきカルマ)によって宿命付けられた、避けることのできない行為を通り抜けていくだろう。人は身体と彼自身を同一視し、その身体の行為の報いに執着するか、あるいはそれから離れ、身体の活動の単なる目撃者になるか、という選択の自由だけを持っているのである。


質問者:それでは、自由意志というのは作り話なのでしょうか?

マハルシ:自由意志は個人性に関わる領域で維持される。個人性が維持されるかぎり、自由意志は存在する。すべての聖典はこの事実を基盤としたうえで、自由意志を正しいい経路に向けるように勧めている。

誰にとっての自由意志や運命が問題となるのかを見いだし、そしてその源にとどまりなさい。もしあなたがそうするなら、その両方とも超越される。


追記:この引用に関する解説は、次の日記で。


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