2013
08.16

「どちらとも言えない」というオプション

Category: 時事
今日は、68年後の終戦記念日でしたね。日本の夏は、お盆と終戦記念日が重なり、自然と、人の生死ということに意識が向かわされるようです。これは、ある意味よいことかもしれません。日々の忙しい経済活動や学業、スポーツなどから意識が離れ、もう少し根源的な世界との交流が起きるのですから。

一方、戦争は懲り懲りだという、大衆の不戦の想いとは別に、軍事力を国家にとって必要不可欠な正しい力と信じ、それを復活させようとする動きが活発になってきました。戦後68年を経て、日本は再び戦争への準備を始めたといえるでしょう。国の政ごとを任された彼らには、それが取るべき正道だと確信するかのごとくに…。

石場幹事長 憲法改正について語る

アベノミクスで少し経済効果が出てきたから、他に頼れる政党がないから、というだけの理由で、彼らが取る軍事国家への選択に、国民は全部身を委ねてよいのでしょうか?

ナチスが台頭してきたときに、善良勤勉なドイツ国民は、彼らの政府の選択を受け入れざるを得なくなりましたが、その時点では、まさか、あれほど悲惨な道に突き進む運命だとは、だれも思いもしなかったのだと思います。それは、日本についても同じだったと思います。気がついたときには、もう手遅れになっていたのです。

最近のNHKその他の世論調査結果について非常に不思議に思うことがあります。それは、憲法9条改正についても、原発再稼働についても、消費増税や麻生氏のナチス発言についても、「どちらとも言えない」という声が、Yes、No に並ぶくらいいるということです。

彼らは、支配階層による愚民化政策が功を奏し、大切なことに意識が向けられなくなってしまったのかもしれません。スクリーン(TV 娯楽)とスポーツとセックス(3s)により、それは行われているといわれます。自分で判断する能力を奪われた状態なのでしょう。

この、特定の意見を持たないと思われる中間色の声は、政策決定の際には、全部OKだよ、という賛成意見とみなされるのでしょう。これは、とても危険な傾向と言えます。わたしはもちろんすべてNoですが、むしろ、しっかりとした意見をもってYesという方が、この「どちらとも言えない」よりは、断然マシだと思います。それくらい、この「どちらとも言えない」層は、深い迷妄の闇を含んでいます。

あるいは、もしかしたら、このオプションが設けてあること自体が、彼らの政策を推し進めるための巧妙なトリックと言えるのかもしれません。




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