2013
08.03

カルマとか運命とか 3

Category: 創作寓話
神さま:ジャ~ン!

神じゃ。


器夫(うつお):あっ。

蝕の神さま、おはようございます。

今日はなんとも斬新なご登場ですね!(汗)


神さま:うむ。

前口上は無しじゃ。(笑)

今日は、運命の話をまとめる日じゃったのう。

そなた、ここまでの内容を整理してはくれぬか? 


器夫:はい。

人間の運命とか行為とかいうものは、その人が生まれる前から決められた要因によって現象界

に現れてくる。

その要因は、占星術的にみれば、天体の配置ということになり、ヒンズー教のバガヴアッド・

ギーターによれば、純質・激質・暗質という根本原質から生じる要素によって起きてくる…。

だから、人が行為者だと考えるのは正しくなく、それが裁くことで物事を正そうとする

悪循環に繋がる…。

僕にはこのように受け取れました。


神さま:そうじゃった。

ようまとめてくれたのう。

今回は、日本にはややなじみの薄いクリシュナ神の存在を紹介するのも目的じゃった。

クリシュナさんは太陽神にも真理を説かれておる。

日月の神も、天照大神も、わたしも、みんなそこから来ておるのじゃ。

もちろん、そなたも、誰もかれも…。イエスもブッダものう。


器夫:僕の父も、毎朝、朝日を拝んでいました。

何かぶつぶつ呟きながら。(笑)


神さま:そうじゃったのう。

よく覚えておるぞ。


では、こうした運命、カルマ、三要素を超越した人にはどのような特徴があるか、

ギーターから拾ってみよう。




彼は光明と活動と迷妄が現れた時それを憎まず、それが停止した時それを求めない。

彼は中立者のように静止し、諸要素によって動揺させられず、諸要素が活動するのみと考え、

安住して動かない。

彼は苦楽を平等に見て、自己に依拠し、土くれや石や黄金を等しいものと見て、

好ましいものと好ましくないものを同一視し、冷静であり、非難と称賛を同一視する。

彼は尊敬と軽蔑とを同一視し、味方と敵とを同一視し、一切の企図を捨てる。

このような人が、要素を超越した人といわれる。

不動なる信愛のヨーガによりわたしに奉仕する人は、これらの諸要素を超越して

ブラフマンと一体になることができる。




つまり、運命やカルマのシステムが働くのは、そなたが人としての意識、個人としての意識に

自己を置いた場合に限られるということじゃ。

そなたは、本来、何ものも制限しない意識じゃ。

三次元で生きるには、優勢意識を現象界に置くのはごく自然なことじゃが、本来の自己を

忘れてはならない。

運命やカルマを超える鍵は、この辺りにあるのじゃのう。


器夫:「光明と活動と迷妄」とは、それぞれ純質・激質・暗質から生まれるものですね。

それらの結果に囚われないこと、行為の結果に囚われないことが大切だというのですね。

確かに、そうした結果を、すべて平等に見ることができたなら、

どんなにか楽になることでしょう!

人は、とかくよい結果は自分の行為によるものとし、悪い結果は人の行為に起因すると

思いやすいですね。

よい行為にも悪い行為にもしがみつこうとしがちですが、どちらも同様におかしいです。


神さま:行為の中に身を置きつつ、行為を超越する…

それを行為のヨーガというのじゃ。

それは、行為を否定することとは違うのじゃ。

クリシュナ神は、それが肝要だというのじゃよ。



器夫:今回は、とてもよいことを教えていただきました。

神さまありがとうございました☆





精神世界ランキング 参加しています

スポンサーサイト

トラックバックURL
http://salasvaty.blog94.fc2.com/tb.php/229-38c0e893
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top