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2011
05.08

韓国で起きた十字架事件の意味するもの

Category: 時事
ニュース参照元:
2011年05月05日23時32分
提供:韓フルタイム

十字架にかけられ男性が死亡…韓国で猟奇的な事件が発生。

韓国・慶尚北道の聞慶市で1日、タクシー運転手の男性(58歳)がイエスキリストの死を連想させる十字架にかけられた状態で死亡しているのが見つかった。男性が死に至った正確な原因や経緯は不明で、韓国の警察は自殺と他殺の両面で捜査を行っている。

男性は聞慶市の閉鎖された採石場で十字架にかかった状態で見つかり、手足にはクギが刺さり、頭にはいばらの冠を付けていた。周りには十字架を作るために使ったとみられるノコギリやドリル、ナイフなどの道具があった。

男性が自殺したのか、他殺なのか謎は多いが、警察関係者は「死亡した男性の姿は、一般的な自殺の姿ではなかった。特に、十字架にかけられたまま自殺するのは難しい」とし、「男性の行動を明らかにするため携帯電話の通話記録や、周辺人物に対し捜査している」と他殺の可能性を示唆した。

その重要人物となっているのが、採石場から4キロの地点に住むチュ氏(53)。同氏は02年から宗教関係のコミュニティーサイトを4~5つ運営者している人物で、サイトには、「十字架の死は神を意味する」などのコメントを1000件以上書き込んでいた。男性は2年前に、サイトに加入していたという。また、チュ氏は今回の事件の第一発見者でもある。

チュ氏は、「1~2年前に私が運営するサイトを通じて知り合い、向こうから会おうと言って来たので一緒に話したことがある」とし、「(男性は)普段からイエスになりたいと言っていたが、本当にイエスのようにあんなことをするとは思わなかった」と語った。

一方で、警察は男性が先月に木材を購入したことを確認。さらに現場から見つかった十字架の作り方や実行計画などを記した紙の筆跡が、男性のものであることがほぼ断定されたことから、自殺の可能性も排除していない。

警察関係者は、「男性の足の甲にはクギが刺さっていたが、手の甲には両側がとがったクギが刺さっており、手を動きやすくしていた。また、腰と首にまかれた包帯の結び目は前面にあり、左わき腹についた傷の方向から、自分で凶器を使い刺したものとみられる」と説明した。

現在、凶器などについて血液などのDNA鑑定が行われている。結果次第では、男性が自殺したのか、それとも他殺なのか、事件の詳細が判明するかもしれない。

以上、ニュース記事の引用


man crucifixed

South Korean man found crucified
South Korea Crucifixion


この男性は、おそらくは、復活祭があった4月24日前後に十字架に付くことを綿密に計画し、複数の協力者の手を借りて忠実にキリストの磔刑を再現したと思われます。

場所は廃業した石切り場、手足にドリルで穴を空け、十字架を組み立て、硬いであろう石切り場に3本立てました。二本は、キリストとともに処刑されたほかの二人の罪人が掛けられた十字架を表しています。自らを鞭打たせ、わき腹を刃物で刺させ、いばらの冠を被り、あらかじめ釘を打ちつけた十字架に、人手を借りて自らを掛けたようです。

父と子と聖霊という、三位一体の教義で考えれば、おそらく二人の協力者とともに、直前まで3人で行動したのではないでしょうか。彼自身をキリストに、もう一人を父なる神、もう一人を聖霊に見立てたのではと想像します。正面に置かれた鏡に自らを映したのは、ナルシズムの究極なのか、それとも、観察者としての神の視点を維持するための手段だったのか...。その場にあった、彼自身の筆跡であると家族が認めた手紙の内容は、公表されていません。58歳のタクシードライバーだったようです。

これは、賛否は別にして、相当な計画性と強い意志、実行力、他の協力を必要とする行動と思われます。ある意味、瞬間的な切腹以上に実行困難な行為といえるかもしれません。石切り場の大地に十字架用の穴を開けるだけでも、それなりのツールを必要としたでしょう。



ものの見方には、平面的、水平方向、物質的な見方と、立体的、縦方向、非物質的見方があります。形の世界の見方と、形のないの世界の見方ともいえます。

平面的に観ると、この事件は、宗教的狂信者が自己陶酔の果てに引き起こした奇怪な、身勝手な幇助による自殺事件、ある種の病的事件と判断されるでしょう。ネット上のコメントなどを見るとほとんどがそれで、無心論者と有神論者の論争の場となったりしています。

ところで、もうひとつの見方をするとどう見えるでしょう。すなわち、縦方向から観るとどう見えるのでしょうか。つまり、十字架の中心に視点を置いてみてみるということです。ものごとのありのままの姿を見るには、横方向だけでなく縦方向の見方がどうしても必要です。そこに立つと、横方向のみでジャッジする、裁くということができなくなります。

このニュースがネット上で世界に配信されたのが、5月1日です。この日は、メーデーであり、「メーデイ」という言葉には、1.春を祝う五月祭、2.労働者の福祉のための日、3.船舶の救援を求める遭難信号の3つの意味合いがあります。十字架は、形あるものから形なきものへの変容(喜ばしきこと、五月祭の祝福)、大きな艱難(遭難信号)、人類の幸福の鍵(労働者の福祉)を象徴します。当然、この男性は、事件が5月1日に、世界的に公になることまでは計画できませんでした。いうなれば天が、この日を選んで世界に十字架の意味を問うたのです。

自分のエゴを「いま」に完全に明け渡すこと。そこに苦難から歓喜への、死からいのちへの、滅びるものから滅びざるものへのすばらしい進化の変容が起きる。これが十字架の秘儀、奥義といえます。ただしそのためには、個人としてのエゴが滅ぶための大きな苦難が待ち受けている。それを天が改めて人類に示した日が、この5月1日なのではないでしょうか。


結局、出来事に意味を与えるのは、個人です。一人の病める魂が取った忌むべき不可解な行為と忘れ去ることも自由です。僕は、この男性の行動を支持するものでも否定するものでもありません。ただ、自分にはこうした見方ができるというだけです。十字架の真ん中を生きようとする自分には、どうしても捨て置けない、日記に書かざるを得ない出来事だったのです。
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