2017
10.15

歓迎と拒絶

歓迎する力と、

拒絶する力が、

うまく働いて、

人生が進んでいるんだなぁ。


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2014
07.26

真理は有料なのか?

目覚めを、悟りを、真理を、自から個人の生活の実益、手段に結び付けるのは、やはり、『違う』と感じます。

毎日、どんなに悟ったようなことを書いていても、語っていても、その人が、真理を有料で切り売りするような活動に従事しているなら、あるいはプランを抱いているなら、その人が達したという悟りには、わたし的には???が点灯します。
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2014
07.07

「わたし」は、行為者ではない、ということ

悟りを得た人の話や聖典類には、「わたしは行為者ではない」ということが、よく言われています。
頭での理解や、直感的感覚によっても、多分そうなのだろうとは思われますが...。


いま、四年ぶりに物語を書いています。
平日は、体力的に余裕がないため、時間の取れる週末に、まとめて連載分の一回を書いています。
この、物語を書くという行為は、「わたしは行為者ではない」ということを、体験的に教えてくれる作業です。
以前から、そう感じていましたが、今回、改めて実感しています。

何を書くか、まったく決めていなくても、十分な体力と時間をもって、パソコンに向かうと、ストーリーが、勝手に展開し始めます。

あらかじめ、粗筋が浮かんでいて、それをもとに書くときもあれば、書こうと考えていたこととは全く違うことや、違う流れを書くこともあります。

そんなときは、実際に書いた展開の方が、書かれるべき内容であることも、疑いなく感じます。

登場人物のネーミングや、どの物質がどの星と縁があるかなどを決めるときは、誰かに訊ね、教えてもらう感覚です。
チャネリングと言うこともできるかもしれません。

いずれにしても、ストーリーを綴るのは、1パーソンとしてのわたし個人でないことは明らかです。「わたし」は、これから何を書くのか、どんな展開になるのか、知らない場合がほとんどなのですから。出来上がってから、「あぁ、こういう展開だったのね!」と、自分でも驚くことしばしばです。
なので、決して、「わたし」が、書いたのです、とは、厳密な意味では言えないことを、「わたし」自身が知っています。

では、書いているのは、誰なのでしょうね?

一体、行為者とは、だれなのでしょう?

そんな人、この世に一人でも、いるのでしょうか?

バガヴァッドギーターや賢人たちの答えは、NO ですね。

ちなみに、この連載が、いつ書き終わるのか、私自身にもわかりません。こうした終わり方をしたい、という大まかな願望はありますが、その通りに進むかどうかも、ましてや、そこに進むプロセスについては、予測すらできません。さらに言えば、書き終えることができるのか、わかりません。もしかしたら、未完で終わることになっているかもしれません。勝手に書いてくれる力が止まった時は、書けなくなるでしょう。そのときには、
「何だ。偉そうに、ストーリーがポンポン飛び出して簡単に書ける」などと傲慢なことをブログに書いていたけれど、未完で終わったじゃないか!」
などと、揶揄されるのかもしれません。その時は、甘んじてそれを受け入れればよいのでしょう。

わたしにとって、物語を書くという行為は、実際、そういうことです。

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2014
06.06

ふふっ。。。

何も足せないし、

何も引けないんだ...




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2014
01.18

ボーダー・ライン

Accept the world as unreal,
if you are seeking the truth
and the truth alone.

あなたが本当に、真理だけを求めるのなら

この世が不実在であることを受け入れなさい

Sri Ramana Maharshi
ラマナ・マハルシ



夢はもういい、と思わない限り、

夢から覚めることはないだろう


でもその前に、

この世界が夢、幻であり

フィクションなのだということを

完全に受け入れることが必要なのだ…


ラマナはそういうのです。





明日は真我の会(第6回)の日です。

午後3時からセルフに瞑想します。

身体でのご参加、遠隔でのご参加、ともに歓迎します☆





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