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2014
07.26

真理は有料なのか?

目覚めを、悟りを、真理を、自から個人の生活の実益、手段に結び付けるのは、やはり、『違う』と感じます。

毎日、どんなに悟ったようなことを書いていても、語っていても、その人が、真理を有料で切り売りするような活動に従事しているなら、あるいはプランを抱いているなら、その人が達したという悟りには、わたし的には???が点灯します。
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2014
07.07

「わたし」は、行為者ではない、ということ

悟りを得た人の話や聖典類には、「わたしは行為者ではない」ということが、よく言われています。
頭での理解や、直感的感覚によっても、多分そうなのだろうとは思われますが...。


いま、四年ぶりに物語を書いています。
平日は、体力的に余裕がないため、時間の取れる週末に、まとめて連載分の一回を書いています。
この、物語を書くという行為は、「わたしは行為者ではない」ということを、体験的に教えてくれる作業です。
以前から、そう感じていましたが、今回、改めて実感しています。

何を書くか、まったく決めていなくても、十分な体力と時間をもって、パソコンに向かうと、ストーリーが、勝手に展開し始めます。

あらかじめ、粗筋が浮かんでいて、それをもとに書くときもあれば、書こうと考えていたこととは全く違うことや、違う流れを書くこともあります。

そんなときは、実際に書いた展開の方が、書かれるべき内容であることも、疑いなく感じます。

登場人物のネーミングや、どの物質がどの星と縁があるかなどを決めるときは、誰かに訊ね、教えてもらう感覚です。
チャネリングと言うこともできるかもしれません。

いずれにしても、ストーリーを綴るのは、1パーソンとしてのわたし個人でないことは明らかです。「わたし」は、これから何を書くのか、どんな展開になるのか、知らない場合がほとんどなのですから。出来上がってから、「あぁ、こういう展開だったのね!」と、自分でも驚くことしばしばです。
なので、決して、「わたし」が、書いたのです、とは、厳密な意味では言えないことを、「わたし」自身が知っています。

では、書いているのは、誰なのでしょうね?

一体、行為者とは、だれなのでしょう?

そんな人、この世に一人でも、いるのでしょうか?

バガヴァッドギーターや賢人たちの答えは、NO ですね。

ちなみに、この連載が、いつ書き終わるのか、私自身にもわかりません。こうした終わり方をしたい、という大まかな願望はありますが、その通りに進むかどうかも、ましてや、そこに進むプロセスについては、予測すらできません。さらに言えば、書き終えることができるのか、わかりません。もしかしたら、未完で終わることになっているかもしれません。勝手に書いてくれる力が止まった時は、書けなくなるでしょう。そのときには、
「何だ。偉そうに、ストーリーがポンポン飛び出して簡単に書ける」などと傲慢なことをブログに書いていたけれど、未完で終わったじゃないか!」
などと、揶揄されるのかもしれません。その時は、甘んじてそれを受け入れればよいのでしょう。

わたしにとって、物語を書くという行為は、実際、そういうことです。

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2014
06.06

ふふっ。。。

何も足せないし、

何も引けないんだ...




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2014
01.18

ボーダー・ライン

Accept the world as unreal,
if you are seeking the truth
and the truth alone.

あなたが本当に、真理だけを求めるのなら

この世が不実在であることを受け入れなさい

Sri Ramana Maharshi
ラマナ・マハルシ



夢はもういい、と思わない限り、

夢から覚めることはないだろう


でもその前に、

この世界が夢、幻であり

フィクションなのだということを

完全に受け入れることが必要なのだ…


ラマナはそういうのです。





明日は真我の会(第6回)の日です。

午後3時からセルフに瞑想します。

身体でのご参加、遠隔でのご参加、ともに歓迎します☆





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2014
01.11

お気に入りのフレーズ2

住みなすものは

こころなりけり



前回のフレーズにこう繋げた尼僧がいましたが、本当に素晴らしい阿吽の呼吸というか、

以心伝心の関係にあったお二人なのでしょうね。

心をどう捉え、どう用いるか、それ次第で、どんなに困難で辛い人生でも

いかようにでも面白くすることは可能だということでしょう。



これをアドヴァイタ的に表現すれば、



世界自体は面白いものでもつまらないものでもありません。

この世は常に変化変滅し続けるものであり、必ず始まりと終わりがあります。

始まりと終わりがあるものは、本当の意味での存在ではありません。

いつか消えてなくなるものは、存在とは呼べないのです。存在しなくなるわけですから。

つまり、本当は、宇宙すら存在しません。

単に、あるように見えているだけの幻です。見せかけです。マーヤです。



では、本当に面白いものとは何でしょう?

それは、あなた自身です。人の姿を取る以前の言語に表せない絶対存在、それがあなたであり、ブラフマンであり、真我であり、意識です。存在・意識・至福(サッチタナンダ)です。

人としての顕在意識が真我に向いているから、それが世界とそこに生じる事象に反映され、おもしろくもあり、幸せを感じるのですね。ですから、面白いのは世の中の状態とは無関係だということになります。

唯一存在するものは、セルフのみであり、セルフが面白く、至福に満ちていて、永遠であるだけなのですね。

元々の性質がそうなのですから、それは絶対になくなりません。

ですが、マーヤの力によって幸せを失くしたと感じるから、そこに戻ろうと葛藤しているわけです。

至福が本来の自己であると、誰もが無意識に知っているのです。

幸せを求めるのが人としての自然な属性であるのは、本性が至福そのものであることに由来します。

永遠を求めるのは、わたしたちの本質が永遠そのものであるから。

真理を求めるのは、真理そのものがわたしたちの本質だからです。


先日動画で紹介した Nome などは、とても明快にそう説かれています。

般若心経でも同様に教えていますね。


わたしたちが今生きている現在は、99%の人たちはみな多難なはずです。この地球の歴史、人類の歴史自体がそのようなフェーズに突入して久しいのですから。今後も甘い予測は禁物です。

異星人や異次元存在による救済や介入により地球から悪が一掃され富や資源が平等に再配分されるという情報を信じている方もいるでしょうが、そうした情報に100%依存するのは賢明とは言えません。

そういう自分もかつてはそこに希望をつなぎ信じていたものの一人です。ある程度の介入や支援はあるかもしれませんが、そこに救われの源を見い出すのはNGです。第一、それがいつになるのかは、誰にもわからないからです。いつになるかわからない救済を待ち続けるのは愚かな行為です。また、どんな次元の存在であれ、絶対存在に尺度を置けば、わたしたちと大差はありません。むしろ頼られる方が気の毒というものです。無理な注文です。

本当の救われの源は、内側にしかありません。


わたしたちはやはり、顕在意識を、常に自分自身の真奥にフォーカスしセルフ、ブラフマン、空、静寂と呼ばれる実在にこそ、とどめ置く努力をし続けなければなりません。

たとえ何度もそこから外れ、逸れたように思えようが、何度でもそこに戻る努力をし続けるべきです。意図し続けるべきです。逸れたと思うこと自体が、幻なのですが...(笑)この辺も妙ですね。

近頃は、日々、そんな風に思います。






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